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大戦後から50年代のアメリカ

戦後のアメリカの対外政策の中では、まず1947年のトルーマン・ドクトリンが注目されます。それは、アメリカ外交の伝統を根底から変えるものだったからです。トルーマンは自由主義体制と共産主義体制とを対比し、世界をこの二つの体制を代表する米ソの対立という視点でとらえました。そして、アメリカが自由主義体制を守るため、積極的に行動し援助することを明確にしたのです。このトルーマン・ドクトリンに沿って、47年には対ソ戦略上の観点から、大規模なヨーロッパに対する経済援助の用意がある旨が発表されました。これがマーシャルプランです。これによってヨーロッパ経済の復興が進み、西欧に経済的・政治的安定をもたらすことになります。しかし反面で、東西対立は尖鋭化し、48年にはソ連によるベルリン封鎖、これに対抗する西側の1年間に及ぶベルリン空輸といった緊迫した事態も生じました。こうした東西間の緊張から1949年には西側の経済・軍事同盟である北大西洋条約機構(NATO)が成立します。他方、東側は55年にこれに対抗して、東側の軍事同盟ワルシャワ条約機構を発足させました。

内圧を期待された行革審

この数年、内圧を期待された行革審よりも、日米構造協議の外圧のほうが大きな台風となり、日本を変えたようです。1989年に始まった日米構造協議は、両国の政府高官が一堂に会して、貿易不均衡の根底にある構造的な問題をほぐしていくのがねらいでした。1990年6月に最終報告をまとめて一応の役目を終えましたが、アメリカ側の強い要請でその後も毎年、点検会合を開いています。アメリカがこの種の協議を求めてきたのは、個別の問題を個々に話し合う従来の方式では、日米経済問題を解決できないと判断したからです。この協議で、日本側は剛430兆円の公共投資10ヵ年計画の実行(2)市街化農地の宅地化促進(3)謀徴金の引き上げなど独禁法の運用強化(4)競争制限的な株式持ち合いの制限(5)内外価格差の是正一などを約束しました。アメリカは(1)財政赤字の削減(2)製造物責任制度の賠償額の制限(3)輸出振興の努力(4)教育と職業訓練の改善に取り組むことになりました。

サービス貿易や知的所有権などについて

WTOでは工業製品にくわえ、サービス貿易や知的所有権などについて協議を重ね、自由貿易や利害調整などを行なってきた。だが現在は、各国の利害が大きく対立する農業部門や金融部門、価値観の違いが明白な環境への取り組みなど多くの問題が山積している。2001年に始まった「ドーハラウンド」では、交渉期限が05年1月1日とされていたにもかかわらず合意には至らず、08年中の大枠合意を目指すことになったが、08年7月の農業・鉱業分野の交渉は決裂した。たとえば工業製品の輸出が強みの日本では、不当な安値で市場に攻勢をかけるダンピングに悩まされており、規定の厳格化を求めている。しかし、農業についてはこの限りではない。農産物をすべて自由競争に委ねてしまうと、国産の農産物よりもはるかに安い外国産が市場を席巻し、自国の農業は打撃を受けてしまう。日本の農業の自給率が約40%(カロリーベース)と低いのも、安価な外国産が多く出回っているからだといわれている。